KONICA HEXANON AR 50mm F1.4MD MACRO ROKKOR 100mm F3.5HEXANON AR 50mm F1.4ベースを含む総質量は136g、同じくベースを含む展示時全高は約22cm、ベースは直径9.7cm・厚さおよそ7mm前後、展示に要するスペースは幅12cm×奥行17cmぐらいでしょうか。キャラのイメージがよく再現されていて塗装や仕上げも丁寧、ベースの質感も見事です。ドリームテック・シリーズのフィギュアらしく、この西住殿も首が動きます。と言うか、開梱後に保護シートを外すために首から頭部を抜く必要があります。キャストオフはやればできるんでしょうけれど、破損させたくなかったので行いませんでした。
大ヒット作品のヒロインだけあってフィギュアも数多く出ているのですが、なぜかパンツァージャケット着用のものは可動フィギュアばかりで、スケールフィギュアは珍しいです。
OLYMPUS OM-D E-M5 MarkⅡ(ISO 200, 絞り優先AE)
OLYMPUS Capture
Minolta MD MACRO ROKKOR 100mm F3.5
KONICA HEXANON AR 50mm F1.4
GITZO CREMAILLERE2 G212
Manfrotto 410
Velbon Angle Changer Q
『ガールズ&パンツァー劇場版』には日本陸軍が採用していた六櫻社の“軍用リリー”こと「九七式携帯写真機」が登場しています。1937年に制式化された九七式携帯写真機は、ヘキサー13.5cm F4.5を装備していましたが、初期にはヘキサー13.5cm F3.8を装備してレンズ交換も可能(30cm F6.3)でした。九七式携帯写真機を特徴付けるものとして、レンズボードを支える板の下と、専用鞄の内側に、向かい合わせ一対のオリーブの葉のマークが付けられています(後期には省略されたようです)。“軍用リリー”と言われる所以は、このカメラが六櫻社の手札判ハンドカメラ「
新型リリー」(1936年)をベースにした陸軍向け仕様(1933年の「9年型リリー」を基にしているとする説もあります)だからですが、リリーは、ブラッサイが愛用したことで知られるフォクトレンデルの「ベルクハイル(Bergheil)」の、言ってしまえばコピーです。九七式携帯写真機は主に砲兵隊の記録用と言われているのですが、戦車隊にも配備されていたのでしょうか? このカメラを製造した六櫻社は、杉浦六三郎が1873年4月に創業して写真材料を取り扱い始めた薬種問屋“小西屋六兵衛店”(または“小西本店”)の工場として1902年に創業、小西屋六兵衛店は1921年に合資会社小西六本店、1937年に株式会社小西六、1943年には軍部の意向により解散させられた六櫻社を吸収合併して小西六写真工業株式会社となり、そして1987年にコニカ株式会社へ改称、2003年に持株会社化してコニカミノルタホールディングスに、2013年のグループ内再編によって現在はコニカミノルタ株式会社となっています。そんなわけで、今回の撮影ではコニカのレンズを使ってみました。
九七式携帯写真機は前述の通り六櫻社製なのですが、シャッターは、初期には少数ながらコンパーを採用したモデルがあるようですが、軍用リリー生産当時、精工舎はシャッターの生産を中止して信管など軍事用部品の生産に切り替わっていたことから、軍用リリーのシャッターには千代田光学精工のKTI(同社のクラウンラピッドから1/400秒を除いたものとする説と、クラウンラピッドとは全くの別設計とする説とがあります)が採用されました。それを示すように、九七式携帯写真機のレンズのシャッター部には千代田光学の略称「チヨコー」を示すローマ字"TIYOKO"の刻印があります。田嶋一雄が1928年11月に創業した日独写真機商店は、1931年にモルタ合資会社、そして九七式携帯写真機が制式化された1937年の9月に千代田光学精工株式会社へと社名を改称、「ミノルタ」のブランド名は1933年に使用が始められ、1962年にミノルタカメラ株式会社、1994年にミノルタ株式会社へと社名を変え、その後、2003年にコニカミノルタホールディングスに合併され、2013年にコニカミノルタ株式会社となっています。そんなわけで、今回の撮影ではミノルタのレンズも使ってみました。
(以上の九七式携帯写真機に関連する文は、2016年5月30日に補筆修正しました。)
HEXANON AR 50mm F1.4は、1973年4月発売のコニカ・オートリフレックスT3に合わせて用意された6群7枚構成のレンズで、今回用いたのは最小絞りF16・絞りリングのシャッタースピード優先AEセットポジションが緑色の「AE」表記のトリウムレンズ採用モデル、いわゆる“中期型”です。測定の結果、前玉側 0.43μSv/h・後玉側 4.31μSv/hのガンマ線を検出しました。このレンズは当時以前の国産レンズの例に漏れず、球面収差をレンズの縁で過剰補正にしていて、現役製品当時のテストには、絞り操作によるピント移動はほとんど観測できなかったとあります。解像力(コントラストがゼロになる空間周波数)は、開放時の中心部は140本/mm・全画面平均83本/mm、F5.6時には中心部224本/mm・全画面平均132本/mmと、1970年代の35mm一眼レフ用標準レンズとしては解像力が非常に低いレンズ(同時代の同クラスレンズとしては最低レベル)ですが、1990年代から今世紀初頭の標準レンズよりは高い解像力を持っています。1987年6月発売のAi AF NIKKOR 50mm F1.4のデータと比べると、開放時の全画面平均はヘキサノンがわずかに勝り(AFニッコールは74本/mm)、開放時の中心部やF5.6時の解像力は全く同じ数値を出しています。また、2006年発売のコシナ製カール・ツァイス Planar T* 50mm F1.4 ZFは、開放時は中心部80本/mm・全画面平均59本/mm、F5.6時は中心部180本/mm・全画面平均94本/mmと、解像力の数値データのみに限ればヘキサノンに大きく劣ります。
ちなみにコニカARマウントですが、フランジバックこそかなり短いものの、マウント内径などニコンFマウントと同じなので、遠距離を捨てるのであればニコンFマウントレンズ用マウントアダプターが流用できます。例えば、お外に出かけない・風景とか撮らない・美少女フィギュアしか撮らないといった清々しい撮影スタイルwの場合など、ニコンFマウントレンズ用アダプターの流用はコニカARマウントレンズの最近接撮影距離よりもさらに近接しての撮影が可能になるので、ちょっとお得感があるかもしれません。僕は流用しないで安い中華アダプター(STOK製のARマウント用アダプター)を使いましたが。
MD MACRO ROKKOR 100mm F3.5は、1972年のMC MACRO ROKKOR-QE 100mm F3.5、1973年のMC MACRO ROKKOR 100mm F3.5を引き継いで、両優先AEを世界で初めて搭載したミノルタXD(1977年10月発売)に対応して1978年に発売された4群5枚の中望遠マクロレンズです。レンズ単体では撮影倍率1/2倍まで、固定三脚座付きの専用エクステンションチューブ併用で等倍までの撮影が可能です。とても重く大きいレンズで、ミラーレス機での使用には三脚座付きマウントアダプターを使わないと不安を感じます。1980年代初めごろより以前の国産マクロレンズは解像力・コントラストとも絞り開放が最良というものが多いと言いますが、それはこのレンズにも概ね当てはまり、開放からF5.6までが最もシャープで、それ以上絞ると像が甘くなります。巷間では“柔らかい描写のマクロレンズ”と言われていますが、使用してみた感じとしては、その描写に柔らかさはあまり感じませんでした。なお、念のために書き添えますが、このレンズはアトムレンズではありません。
このフィギュアはアイプリントの光沢が強いことから照明が写り込みやすく、その対策に、六櫻社にやや遅れて創業した老舗光学メーカー、
杉藤の円偏光フィルター、"Pro MC Circular Polarizer(W)"を用いました。また、西住隊長が搭乗するのはⅣ号戦車ということで、ドイツ繋がりでドイツ・
eyelead製ブロワー、"AIR BLOWER L CLASSIC"で埃を吹き飛ばしつつ撮影しましたw