SSブログ

EBC FUJINON 50mm F1.4 前期型 ― 早すぎた“ヤシコン・プラナー” [レンズ]

1972年9月、富士写真フイルム(2006年10月2日に「富士フイルム株式会社」に移行)は、70年に発売していた絞り込み測光方式のFUJICA ST701の後継機として、開放測光方式を採用したFUJICA ST801を発売します。EBC FUJINON 50mm F1.4前期型はその発売に合わせて新しく設計された標準レンズです。そしてこのレンズには富士写真光機が開発した、5層から11層に及ぶ多層膜コーティング技術、EBC(エレクトロン・ビーム・コーティング)が施されました。

Electron Beam Coating…つまり、電子ビームによる膜付けということですが、なぜ電子ビームなどというものが出てくるのかというと、コーティング層を真空蒸着する際、蒸着材料(フッ化セリウムと酸化ジルコニウム)の加熱を大電流ではなく電子ビーム照射で行っているからなのですが、この電子ビーム加熱はこれ以前から他のレンズメーカーでも普通に行われて、当時すでにごく当たり前になっていた技術で、そんな新規性の全くない枯れた技術をわざわざネーミングで謳うというのは、一体どういうわけだったのでしょうか。

「電子ビーム」という単語は、かつては一般の人々にとって馴染みのない難しい専門用語のひとつでしかなかったのですが、1968年頃から急激に注目を浴びるようになります。1968年10月、ソニーが自社開発したトリニトロン管を採用したカラーテレビ第一号機「KV-1310」を発売、RCAのシャドウマスク管よりはるかに明るく鮮明なカラー映像を実現したそのトリニトロン管を、大口径の電子レンズを採用した単電子銃の中に電子ビームを3本走らせる構造をソニーは大きく宣伝、そのキャッチコピー「1ガン3ビーム」に乗って「電子ビーム」は一般の人々に先進的な科学技術を象徴する語句として広く認知されるに至りました。奇貨居くべし、これに便乗して先進性をアピールしようとしたのがこのネーミングだったと思われます。

EBC FUJINON 50mm F1.4前期型のレンズ構成は6群7枚(前群3群3枚・後群3群4枚)の変形ガウスタイプ。1965年のSuper-Takumar 50mm F1.4(7枚玉の「アトムタクマー」)ほか、1975年のPlanar T* 50mm F1.4なども採用して、21世紀に入ってからもしばらく35mm一眼レフ用F1.2~F1.4クラス標準レンズの主流の地位にあったレンズ構成です。ただしこのレンズ、それ以前の大口径標準レンズとは一線を画する特徴を持ちます。同クラスレンズでは以前の同社も国内他社も、同時代のオリンパス以外の国内他社も当たり前のように開放域での球面収差が過剰補正の解像重視で設計していたのに対して、また、ほぼ同時期に西ドイツのカール・ツァイスがフランケ・ウント・ハイデッケ(ローライ)に供給を開始したQBMマウントのHFT Planar 50mm F1.4もやはり補正過剰の解像重視設計だったのに対して、このレンズは完全補正、いわゆる「コントラスト重視設計」を採用したのです。

他に先駆けたこのコントラスト重視設計、さぞ高く評価されたに違いないと思いながら、アサヒカメラ1972年12月号に掲載された「ニューフェース診断室」を読んでみると…
 球面収差曲線は(中略)、収差量は全般的に少ないが、どういうわけかレンズ周辺部で補正してあるため、中間帯の収差がややふくらんでおり、絞り開放ではハロが認められる。F5.6に絞ったときの焦点移動量は0.06㍉(後ピンに写る方向)であった。
どういうわけか、理解されていませんでした。
同記事末の「メーカーは答える」では、これに対して
 EBCフジノン50㍉F1.4は、開放絞りの描写が、全画面に良好なコントラストで描写できるように、もちろん絞ってもすぐれた性能であるように、収差の残存絶対量をより少なくすることを技術的に達成しました。(中略)
 大口径比レンズの場合は、簡単な収差カーブだけでレンズ性能の全貌を示すことは困難であり、実写結果も合わせて十分ご検討いただけますと、弊社の高度な設計意図をご確認願えたかと存じます。
と、反論しています。MTFがまだよく知られていないこの時代の先駆者の苦悩が見えるような気がします。コントラスト重視の設計がもたらす画質に日本の写真愛好家が広く注目するようになるのはもっと後、1975年11月にCONTAX RTSとともに発売されたCarl Zeiss Planar T* 50mm F1.4、今日“ヤシコン・プラナー”と俗に呼ばれているレンズの登場まで待つことになります。EBC FUJINON 50mm F1.4前期型は、世に出るのが少々早すぎたのです。

なお、この前期型の他の計測数値を同記事から拾ってみると、以下の通りです。
焦点距離と明るさの実測値は、51.6mm・F1.43
絞り開放での解像力は、画面中心が最良となるようなピント面で、中心部140本/mm・全画面平均84本/mm、画面全体が平均的に最良となるようなピント面で、中心部140本/mm・全画面平均90本/mm
絞りF5.6での解像力は、画面中心が最良となるようなピント面と画面全体が平均的に最良となるようなピント面は一致し、中心部で224本/mm・全画面平均138本/mm
歪曲はマイナス2.4%のタル型
開口効率は画面対角線90%の位置で44%

このタル型の数値について、中川治平氏は朝日ソノラマ刊『レンズテスト[第1集]』のp.170で、コマ・フレアはマイナスの歪曲を出すほうが良好に補正できるようだ。とコメントしています。

F5.6時の全画面平均解像力138本/mmという数値は、同時代の他社の同クラスレンズと比較すると低い方なのですが、1990年代になると130本/mm台の数字は“滅多にない非常に高い解像力”と言われるようになります。解像力は、例外はもちろんあるものの、全般的な傾向としては1980年代に入る前後あたりから低下に転じて、90年代から21世紀初頭頃にかけてが底だったものと思われます。

このレンズのマウントは、開放測光採用に当たって開放Fナンバー補正を不要とするための定位置ロック機構を設けた、M42マウントの富士写真フイルム独自拡張規格です。ミラーレス機やキヤノンEOSなどにM42マウントアダプター経由で装着する際にこの連動機構用の突起のせいで無限遠が出ないなどの支障があるのですが、現在、中古市場に流通している個体には、この突起が削り取られているものがかなり見られます。それだけデジタルカメラ向けの需要が目立つということなのでしょうが、当然ながら、こんな改造を施された個体はオリジナルのカメラボディに使う際には絞り込み測光になってしまいます。

ちなみにM42マウントですが、1970年前後ぐらいには「Pマウント」という呼称が一般的だったようです。このマウントは「プラクチカ・マウント」とも言いますが、当時アサヒ・ペンタックスが採用して大変多く普及していたことから「ペンタックス・マウント」と呼ばれることも多く、プラクチカもペンタックスも英字表記の頭文字がともに"P"であることから「Pマウント」と呼ばれていました。

この前期型はアトムレンズとしても知られていますが、入手した個体(シリアル14万6千台)が発する放射線はエステー・エアカウンターの測定限界を超えていたため、ガイガー・ミュラー管を採用しているOpen Geiger Projectの「RD-Ⅱ量産型」で計測してみました。その結果、10分間の総カウントによる測定で、前玉側 2.68μSv/h・後玉側 24.71μSv/hという極めて高い数値を記録しました。この数値から、この前期型を毎日8時間・一年365日にわたって身体に密着した状態で保持するという条件を設定して、自然放射線のレベルを0.07µSv/hと仮定して推計すると、この条件で皮膚が受ける一年間の被曝線量は約72mSv/年となり、ICRP1990年勧告による一般公衆の線量限度の、皮膚についての限度50mSv/年を大幅に超えます。ただし、これは毎日8時間も密着保持し続けるというかなり極端な条件での推計なので、現実的な使用状況では限度を大きく下回ると考えられます。



FREEing 1/8scale "RACING MIKU Thailand Ver."
EBC FUJINON 50mm F1.4 Early Version(F1.4), OLYMPUS OM-D E-M5 MarkⅡ(ISO 200, A mode)



EBC FUJINON 50mm F1.4 Early Version(F5.6)



1974年4月、富士写真フイルムは絞り優先AEを持つ上位機、FUJICA ST901を発売。これに合わせてEBC FUJINON 50mm F1.4も設計と鏡胴デザインが改められて、後期型にモデルチェンジします。設計が改められた後期型はどうなったのか、アサヒカメラ1974年9月号掲載のニューフェース診断室にはこうあります。
 球面収差曲線は(中略)周辺部で大きく補正過剰にしており、収差量は大きいほうで、絞り開放でハロが認められる。F5.6に絞ったときの焦点移動量は0.04㍉(アトピン方向)であった。
コントラスト重視設計を捨てて、旧来の解像重視設計に戻ってしまいました。なお、焦点距離と明るさの実測値は51.5mm・F1.43とあります。続いて、そのほかの評価も見てみます。
 歪曲収差は(中略)マイナス2.1%とかなり大きな値のタル型だ。(中略)
 画面周辺部に行くにつれ明るさの減る割合、開口効率は画面対角線90%の位置で34%と良いほうではない。
 これらの値は、焦点移動量と歪曲を除いてST801のときのほうがよかった。
 この結果は撮影解像力の値にも影響している。(中略)今回のレンズでは像面のいちじるしい湾曲が影響して画面周辺部の画質が相当低下している。開放時のハロ、コマ収差も悪い結果を生んでいる。
 実写の結果では開放時の欠点とバックの明らかな2線ボケが気になった。
 同社お得意のEBC式のマルチコーティングの結果は、青色のレーザー光線を当てたときの反射率5.6%と良い値だったが、これもST801のときのレンズの値のほうが4.2%と優れていた。(中略)公害規制などからガラスの材質で使用不可となったものもあると聞くが、このレンズの場合、何が目的で設計しなおされたのか、メーカーに聞きたいところだ。
…散々です(笑)
メーカー側の回答はこうなっています。
 設計変更の目的は、中間帯での球面収差のふくらみを少なくして、絞りによる焦点移動を小さくするとともに、カラーバランスなども含め、他の交換レンズの諸性能と合わせたものです。

ちなみに解像力はというと、
絞り開放での解像力は、画面中心が最良となるようなピント面で、中心部160本/mm・全画面平均58本/mm、画面全体が平均的に最良となるようなピント面で、中心部112本/mm・全画面平均75本/mm
絞りF5.6での解像力は、画面中心が最良となるようなピント面で、中心部224本/mm・全画面平均89本/mm、画面全体が平均的に最良となるようなピント面で、中心部160本/mm・全画面平均104本/mm

開放時の中心部以外は落ちています。

これらのデータから見て、おそらく後期型ではかなり大胆なコストダウンが行われたのではないかと推測します。ひょっとすると硝材もダウングレードされたのかもしれません。1973年に第一次石油危機が起こり、当時の日本は福田赳夫蔵相の造語「狂乱物価」が象徴する、高率のインフレを伴った大不況に陥っていたのです。そして石油価格の高騰は、溶解に大量の重油を消費する硝材の価格を急騰させ、光学メーカー各社の経営を圧迫していきました。

なお、アサヒカメラ1974年9月号ではこの後期型のコントラスト減少率が計測されています。その図を見ると、最もコントラストが高いのはF5.6時で、そのときの軸上でコントラストが50%となる解像力は80本/mmを超えています。この値は現代のレンズ交換式デジタルカメラのイメージセンサーに対応した最新設計のレンズと比べても遜色ないと言っていいでしょう。

かつて解像重視でレンズが設計されていた最大の理由は、この後期型でのメーカー側の回答にもあるとおり、絞り操作に伴う焦点移動を嫌ったことによります。MFの一眼レフではピント合わせは当然ながら人の目で行うのですが、マット面でのピント合わせは精度が出にくく時間がかかることから、マイクロプリズムやスプリットイメージで合焦操作されるのが普通でした。しかしながら、上下像合致で迅速に高精度でピントが合わせられるスプリットイメージは、当時のメーカーはどこもF5.6~7の光束を用いるよう設計しており、一部の高級機に限ってF2.8の光束でピント合わせできるフォーカシングスクリーンがオプションで用意されていたぐらいです。つまり、ファインダーそのものはレンズの絞りを開放した明るい状態で見られるにもかかわらず、マイクロプリズムやスプリットイメージを用いるとピント合わせは絞った状態で行われてしまうことになります(この辺の事情は現代のTTL位相差検出方式AFも同じです)。レンズの周辺部=絞り開放時にしか使わない部分の球面収差を過剰補正として、一段絞ると収差がほとんどなくなるという収差補正は、F5.6の光束でピントを合わせても、どの絞り値でもピントが合っていてほしいという要求によく応えられたのです。

そして、その周辺部での過剰補正は、絞り開放時の撮影でもメリットがあったのです。球面収差が大きいと被写界深度が深くなり、絞った状態でピントを合わせた場合にも開放時にピントが外れにくくなるのです。

おそらく1980年代初頭と思われますが、小倉磐夫氏は月刊“写真工業”の連載記事でファインダーのマット面でのボケ具合の見え方を検討するに当たって、まずレンズの被写界深度を測定されています。このときの記事は写真工業出版社の『新装版 現代のカメラとレンズ技術』のp.81~85に収録されています。氏はこの中で、当時の国産の50mm F1.4のレンズに、開放時の被写界深度が異常に深い製品が存在していることを報告されています。1メートルの距離にある被写体を絞り開放で撮影した際に、合焦点の後方被写界深度が100mmに達するレンズがあったというのです。品名が伏せられたそのレンズ(おそらく、キヤノン New FD 50mm F1.4か、旭光学 SMC PENTAX-M 50mm F1.4の、いずれかと思われます)について、小倉氏はこう解説しています。
 結局このレンズの異常に深い後方深度は,このレンズの球面収差の過剰補正傾向からきている。実測によればこのレンズの球面収差はふくらみが非常に少なく,その代わり約0.2mmの過剰補正(オーバーコレクション)になっている。これはおそらくF5.6あたりの光束を用いるスプリットイメージ・プリズムとマイクロ・プリズムによるピント合わせの精度を考慮してのことだと思われる。
 (中略)
 こういうしだいで,球面収差が大きいレンズは特に開放の場合,深度表の5~6倍に達する深度を持つことになる。これはピント合わせの誤差をカバーするという意味でユーザーも助かり,組立調整が楽になるという意味ではメーカーも助かり,一見双方とも得をするようであるが,画質という点ではそれなりの代償を払っているわけだ。
この「深度表」は、現代に置き換えるなら、ネット上にたくさんある被写界深度計算サイトと読み替えていいでしょう。また、「画質のそれなりの代償」というのは異常に深い被写界深度だけではなく、球面収差を過剰補正としたレンズではハロが生じてコントラストが落ちることのほか、二線ボケが生じやすいという意味も含みます。

一方で、中間帯での球面収差が補正不足側に大きくふくらむレンズの場合、ピント位置(最良像位置)が複数存在することがあります。その有名な例が“ヤシコン・プラナー”と、その光学設計を引き継いだコシナのCarl Zeiss Planar T* 50mm F1.4 ZF/ZF.2/ZE/ZS/ZKです。これらプラナーには、コントラストが最大になるピント位置(最良コントラストの焦点)と、解像力が最大になるピント位置(最良解像力の焦点)が別個に存在することが知られています。この複数のピント位置について、志村努・東大教授がアサヒカメラ2007年6月号のp.217に解説記事を書いています。
 解像力が最大とは、MTFが0になる空間周波数が最大になるピント位置ということで、低い空間周波数のMTFの大小には頓着しない。MTFのカットオフが高い、という表現も同じことを意味する。
 一方コントラストが最大とは、低い空間周波数でのMTFが最大になる、ということ。ただしどの空間周波数か、というのはきちんとは決まっていない。通常は10本/㍉でのMTFをとることが多いようだ。
 (中略)
 どちらが本当のピント位置? という疑問がわく。しかし、写真という意味では、それは撮影者の意図によって、どちらでもかまわない。また、実際のずれは非常に小さく、ファインダーで二つの合焦位置が見分けられるかどうかはきわめて微妙だ。(中略)絞ってしまえば二つの合焦位置は一致する。AFは二つの合焦位置を区別できるほどの精度はない。
EBC FUJINON 50mm F1.4前期型も複数のピント位置を持つ可能性がありますが、確認できませんでした。

球面収差と絞りによるピント移動や複数のピント位置に関しては、先に紹介した『新装版 現代のカメラとレンズ技術』のp.175~178にも記述がありますので、興味をお持ちの向きは図書館で閲覧されるか古本を入手されるなどしてお読み頂ければと思います。

デジタルカメラにオールドレンズを用いる際のライブビューによるピント合わせについて、開放でピントを合わせて撮影時に絞ることを推奨する意見はプロにすら多いのですが、解像重視の設計のものの場合は開放時の被写界深度の深さが災いして開放ではピントの山が掴みづらいことが少なくなく、一段から二段ほど絞るとピントが外れることが珍しくありません。また、コントラスト重視で球面収差の中間帯の補正不足側へのふくらみが大きいものは絞りによるピント移動が大きいことが多く、やはり開放でピントを合わせると撮影時にピントが外れることが少なくありません。デジタルカメラでのオールドレンズの使用時には、ピント合わせは実絞りで行うことを強くお勧めします。ただ、F5.6~8あたりよりも小絞りになるとピントの山が掴みづらいので、絞り込んで撮影する場合はF5.6か8でピントを合わせるのがよいように思います。


マルチコーティングは1956年に千代田光学精工(ミノルタ)が発売したROKKOR 3.5cm F3.5(テッサータイプ、3群4枚)の1面だけに施された二層コーティング「アクロマチック・コーティング」が民生用写真撮影レンズとしては世界初とされますが、このあたりは限定条件次第で“世界初”が変わり、「民生用写真撮影レンズ」という縛りを少し緩めて「民生用写真撮影用品」とすると、フランケ・ウント・ハイデッケ(ローライ)の自社製品専用フィルターがロッコールに先行しています。

EBCコーティングの最大11層というスペックは、当時としては群を抜いたマルチコート技術(現代では安価なプロテクトフィルターでさえ当たり前のように17層ぐらいはコートされていますが)ですが、当時の計測結果を見てみると、コシナのAuto Cosinon MC 55mm F1.4(5群7枚)の反射率が3.0%、旭光学のSMC PENTAX 50mm F1.2(6群7枚、接合面にまで及ぶ全面フルマルチコーティング)が2.9%、そしておそらく1970年代前半で最も反射率が低いと思われるのが東京光学のRE GN TOPCOR M 50mm F1.4(5群7枚)の2.2~2.3%で、EBC FUJINON 50mm F1.4の4.2%(前期型)~5.6%(後期型)という数値は、やや期待外れの感なきにしもあらずではあります。

1970年代も後半になるとモノコートの技術が上がり、1979年の日本光学の輸出仕様レンズ、全面単層膜でコストを抑えたニコンレンズシリーズE 50mm F1.8(5群6枚)はアサヒカメラ1979年10月号によると透過率が96%強、つまり反射率は4%を切っていて、この数値は70年代前半のマルチコートに迫るのみならず、その前年78年発売の同社Ai NIKKOR 50mm F1.8(5群6枚、全面マルチコート)の透過率96%と同等以上という結果になっています。このような単層膜コートの技術向上を受けて、また、アメリカ市場で不景気に伴う低価格志向が強まっていったことのほか、円高傾向による輸出採算性の悪化や日本メーカー間の低価格競争が消耗戦と化していったことを背景に、各社とも70年代半ば過ぎごろから費用対効果を厳しく吟味するようになり、多くのメーカーがマルチコートを施す面数を減らす方向に転換していきました(キヤノンのスーパー・スペクトラ・コーティングでは当初から多層膜コート面がごく少ない面数に抑えられていました)。アサヒカメラ1978年5月号・7月号では、その傾向を
一時もてはやされたマルチコートも、しかし最近は、各社とも形骸化した観がある。
最近のレンズでは、マルチコーティングとはいっても、レンズの第1面と最終面だけが申しわけ程度にコーティングされているだけの、いわばまがいものが多く見受けられる
と批判し、また、アサヒカメラ1978年8月号では西ドイツ、カール・ツァイスのDistagon T* 28mm F2 AEGの測定結果について述べた文章で、
 このレンズは、8群9枚構成と、多くの空気やガラスの境界面を通りながら、95%の透過率をもっているというのは、マルチコーティングを熱心にやっている証拠である。言い出しっぺの日本のレンズが、そのコスト高にネを上げて、いいかげんになってきているのに、まねをしたドイツの方が、この点ではいまや一歩先に行ってしまった。
と慨嘆していました。


(2016年6月19日にFUJICA ST701の発売年の誤りを修正、同6月21日に後期型のコントラストに関する記述を加筆しました。2017年2月18日に放射線の線量限度に関する記述を、同4月2日にマルチコーティングに関する記述と出典元資料を加筆しました。2017年6月10日・同12月28日に若干の補筆を行いました。2018年12月31日に石油危機の影響について加筆しました。)



(2016年9月4日付記)
澤村徹氏が監修・執筆された玄光社MOOK『オールドレンズ・ライフ Vol.6』が2016年8月末に刊行され、そのp.54~55でEBC FUJINON 50mm F1.4が紹介されていますが、そこで紹介されているレンズの写真自体は後期型なのですが、そのキャプションに後期型である旨の記述はなく、また、見出しや本文にも、前期型について書いているのか、それとも後期型についてなのかの記述が全くなく、知識をまだ持たない初心者に向けて書いている書籍であるにもかかわらず極めて不親切です。もしかすると、澤村氏はEBC FUJINON 50mm F1.4が前期型と後期型で光学設計が異なることをご存じないのかもしれませんが、もしそうだとすると、それはプロとして如何なものかと疑念を持たざるを得ません。



参考資料(順不同):

カメラドクター・シリーズ〔第1集〕 最新カメラ診断室(朝日ソノラマ・0072-003021-0049・1974年8月24日発行)

カメラドクター・シリーズ〔第3集〕 カメラ診断室'76(朝日ソノラマ・0072-003047-0049・1975年11月30日発行)

カメラドクター・シリーズ6 カメラ診断室 アサヒカメラ連載(朝日ソノラマ・ISBN4-257-03174-3 C0072 ¥1600E・1983年12月31日発行)

クラシックカメラ選書-22 レンズテスト[第1集](中川治平,深堀和良・朝日ソノラマ・ISBN4-257-12032-0 C0072 ¥1800E・2001年11月30日 第1刷)

クラシックカメラ選書-23 レンズテスト[第2集](中川治平,深堀和良・朝日ソノラマ・ISBN4-257-12033-9 C0072 ¥1800E・2001年11月30日 第1刷)

アサヒカメラ 1979年4月増刊号 35㍉一眼レフのすべて(朝日新聞社・雑誌01404-4・1979年4月5日発行)

アサヒカメラ 2007年6月号(朝日新聞社・雑誌01403-6・4910014030671 00800・2007年5月18日発売・2007年6月1日発行)

アサヒカメラ ニューフェース診断室 ニコンの黄金時代① SP~F3「診断室」再録(朝日新聞社・ISBN4-02-272128-6 C9472 ¥1800E・2000年1月1日発行)

アサヒカメラ ニューフェース診断室 コンタックスの軌跡(朝日新聞社・ISBN4-02-272141-3 C9472 ¥1800E・2001年3月1日発行)

アサヒカメラ ニューフェース診断室 ミノルタの軌跡(朝日新聞社・ISBN4-02-272146-4 C9472 ¥1800E・2001年12月1日発行)

アサヒカメラ ニューフェース診断室 ハッセルブラッド・ローライの名機たち(朝日新聞社・ISBN4-02-272151-0 C9472 ¥1800E・2002年3月1日発行)

朝日選書684 国産カメラ開発物語 カメラ大国を築いた技術者たち(小倉磐夫・朝日新聞社・ISBN4-02-259784-4 C0350 ¥1300E・2001年9月25日 第1刷)

新装版 現代のカメラとレンズ技術(小倉磐夫・写真工業出版社・ISBN4-87956-043-X C3072 P3000E・1995年10月17日 新装版第1刷)

カメラ・レンズ百科 撮影のためのメカニズム知識(写真工業出版社・ISBN4-87956-002-2 C3072 P2900E・1991年3月20日 第3版)

写真工業 2004年9月号 第62巻 第9号 通巻665号(写真工業出版社・雑誌04419-09・4910044190949 00829・2004年9月1日発行)

ソニー自叙伝(ソニー広報センター・ワック出版部・ISBN4-948766-04-6 C0034 ¥3600E・1998年3月16日 初版)

富士フイルム 50年の歩みInternet Archive

アサヒカメラ ニューフェース診断室 -朝日新聞出版|dot.(ドット)

フジノンレンズが素晴らしいのは昔から: 小原玲(動物写真家)のブログ

雌山亭 - 詳解8枚玉タクマーInternet Archive

レンズマウント物語(第4話):M42の踏ん張り - デジカメWatch

原子力百科事典 ATOMICA




nice!(21)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 21

コメント 2

osakawanko

球面収差アンダーだったら必ずピンの位置が分裂するかと言えばそうでもなく、こればかりは分かりませんねえ。レンジファインダー用のフジノン50/2でも見られますので。
この現象は古くから知られていて、昭和30年11/25刊の写真技術講座1共立出版、林一男の第8章にも記載があります。当時はMTFという概念ではなく、コダックが提唱した比鮮鋭度という概念を使っていますが、比鮮鋭度の最高点が焦点位置に対して一意に決まるのに対して、解像力最高点は使用するコントラストチャートによって異なったり、二つのピークを持ったりすることが述べられています。比鮮鋭度と解像度は、解像度チャートに低波数のものを使ったとき一致することも記載されています。原因は、球面収差による光線の集束状態から説明することが試みられていました。このころ解像力が高いレンズが必ずしも好ましい描写のレンズではないことが一般に知られるようになりつつあった時代で、それに対応した記事が掲載されたのだと思います。
共著者久保島信は昭和30年当時フジの常務でした。フジはコダックの論文を十分に研究していると思われますので、解像度云々ではなく、どういった写りが好ましい写りか、この時代より十分研究していたと思われます。

プラナーが他を圧倒したのは、タムロンの高野栄一(写真工業第何号かは忘れました)によれば、屈折率が1.8を越える超高屈折レンズが決めてで、それに対抗するため日本のメーカー各社が共同して一定量のガラスを購入する約束を行い、ガラスメーカーに作らせたとの記述があります。この時期は1970年代の終頃と思われ、nikonもこのころ、50/1.4や50/1.8に第2第3レンズの間に空気レンズを導入しています。nikonの公開特許では、空気レンズについて、ガラスの種類を減らす事ができる云々・・50/1.8など二種類(ガラスの種類は書いてあったけど覚えていない。LaSFだったように思うんだけど)・・と無茶なことが書いてありましたけど・・空気レンズと屈折率との関係には言及がなく、当時の日本の特許が原理についてではなく製造方法について認められるようなものだった弊害を感じました。この約束の期限が切れたからかどうか根拠はありませんが、nikonの1978年の超高解像度Ai50/1.8は、1980年の50/1.8Sになって、全く別の周辺ボケボケレンズになってしまった。
フジの設計も当時の最高屈折率のアトムガラスがあってのことではないでしょうか。

by osakawanko (2021-07-22 16:17) 

osakawanko

訂正
フジの常務→フジに勤務
by osakawanko (2021-07-22 16:26) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

12月12日DR Summicronは選ばれたレンズ.. ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。